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赤穂市には、塩谷じゃなく塩屋という地域があって、弥生時代の塩づくりの壺が発掘されているらしい。塩を格納する屋敷でもあったのかと思ったけど違う?まあ、今の市街地は大半がまだ海だったらしい。かなり内陸に、港があったらしい地名(大津とか)があったりする。扇状地を作り上げた千種川は有能でした。
平安時代の塩田跡も確認され塩荘園として、大昔から塩づくりしてたらしい。
なんで、相生とか、姫路、備前じゃなく、赤穂だったのか(?あるいは赤穂だけだったかどうか)は不明やけんど。
昔なじみの商品名ではあったのですが、会社名も天塩なんやと。
しらんかった。
https://www.amashio.co.jp/
昔の流下式塩田ものもじゃないんだろうけど、おいしいと思います。海浜公園内の塩の国での塩作りは、常用にはならんけど、天塩なら手に入ります。
江戸時代、システマティックな入浜塩田による塩づくりが確立された播州赤穂。瀬戸内の穏やかな海と気候に抱かれ、千種川が中国山地からもたらした、良質の砂からできた広大な干潟は、入浜塩田の開発に適していた。その製塩技術は、瀬戸内海沿岸に広がり、市場を席巻するまでに成長した。中でも赤穂の塩は、国内きってのブランドとして名を馳せ、赤穂に多彩な恵みをもたらした。このまちには瀬戸内海から生み出される塩とともに歩んできた歴史文化が蓄積され、現在に息づいている。赤穂はいまなお「塩の国」なのである。
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